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2006-07-08

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大会プログラム

13:00〜13:50 第18回定例総会
14:00〜17:00 第18回定例研究会

※定例研究会は、会員か否かを問わず、ご参加いただけます(参加費は無料です)。

【お問い合わせ先】


ワークショップ企画概要 ワークショップ「生と死の社会学——戦争の体験と記憶をめぐって」

第二次世界大戦の終了する1945年哲学者のモーリス・メルロ=ポンティは『知覚の現象学』のなかで、私たちの身体が抱え込む錯認の例として「友人の死の否認」や「幻影肢」などを取り上げつつ、それらの現象が、生き延びている私たちの、他者の死や自己の身体の喪失を受け容れられないことからくるトラウマ的記憶の反復強迫への契機であるとともに、逆説的にも、「間主観性/間身体性」ないしは「運動としての歴史」への開かれでもあるという二重性を内包したものであることを探究した。「廃墟と化した客体世界」と、それに向き合う「『世界・内・存在』の形式としての身体」が抱え込む「他者や自己の身体についての幻影」を出発点としつつ繰り広げられたその哲学的思考は、20世紀における《戦争の体験と記憶》をその歴史的・社会的背景としていたといえる。

ところで、私たちの社会もまた、とりわけ《戦争の体験と記憶》をめぐって、メルロ=ポンティが私たちの身体の抱え込む錯認とみなした「友人の死の否認」や「幻影肢」などに相当する現象を抱え込んでいるとはいえないだろうか。「戦争の後」を生き延びてきた私たちは、「戦争による同胞の死」や「戦争によって廃墟と化した国土」を受け容れることができたのであろうか。むしろそれらを受け容れられないことからくる様々な問題に直面するなかで、トラウマ的記憶の反復強迫と「間主観性/間身体性」ないしは「歴史」との分岐点に絶えず立たされてきたのが実状ではないだろうか。このように今回のワークショップは、20世紀における《戦争の体験と記憶》が生み出した哲学的思考(それはメルロ=ポンティのものに限定されるわけではない)とその一連の問題領域——〈体験と記憶〉〈身体〉〈知覚〉——に対して社会学的な応答を試みることのうちに、「生と死の社会学」のアクチュアリティを見出すべく企画されたものである。

そこでお二人の方にご報告をお願いし、お一人の方にコメンテーターをお願いした。野上元氏(筑波大学)からは「『言説分析』は『成功』したか?——『体験/記憶/記録』の歴史社会学」というタイトルでご報告いただく予定である。本年上梓されたばかりの『戦争体験の社会学——「兵士」という文体』(弘文堂 2006年)における「戦争と書くこと」の問題とも大いに関連する〈体験と記憶/記録の交錯〉についての興味深い議論が提供されるであろう。

浜日出夫氏(慶應義塾大学)からは「戦争体験を継承するとはどういうことか」というタイトルでご報告いただく予定である。昨年度の日仏社会学会大会シンポジウム戦争の記憶」(広島大学 2005年)でのご報告「集中するヒロシマ・分散するヒロシマ——ヒロシマ継承の可能性」(『日仏社会学年報』第15号 日仏社会学会 2005年 に所収)における「(表象不可能なものの)身体的複製」の問題とも大いに関連する〈身体と記憶の重層〉についてのやはり興味深い議論が提供されるであろう。これらお二人からのご報告に加えて、好井裕明氏(筑波大学)からは、本年発表されたばかりの「ファンタジー化する原水爆そして原子力イメージ——ゴジラ映画特撮映画というテクスト」(桜井厚(編)『戦後世相の経験史』せりか書房 2006年 に所収)を始めとして、これまで〈映像と知覚のテクノロジー〉としての映画社会学的に考察してこられたお立場からの興味深いコメントが提供されるであろう。今回のワークショップが《戦争の体験と記憶》を再考することを通して、「生と死の社会学」のアクチュアリティを再認識させてくれる絶好の機会となることを期待したい。(担当運営委員)

トラックバック - http://socinfo.g.hatena.ne.jp/contractio/20060708