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2007-04-28

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via 中のひと


構想発表「意志と認識の関係――ショーペンハウアーの思考に則して」 釜土 詳二

ショーペンハウアーの思考に寄り添いつつ、意志と認識の関係を考察する。まず、意志の現象の場としての私の身体が、世界において占める位置が確認され、次いで、身体における意志が認識に先立つものであること、したがって、認識は意志に従属するものであるということが、指摘される。そして最後に、意志との関係から離脱した聖者の認識、すなわち一切のエゴイズムから離脱した純粋な認識が有り得るということが、主張される。

参考文献
  • ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』(西尾幹二訳、中公クラシックス)
  • 「第二巻 意志としての世界の第一考察すなわち意志の客観化」主として、第17節以下を中心に

発表「デカルト『省察』をめぐるフーコーの狂気排除論」藤田 公二郎

デカルトは『省察』の中で理性から狂気を暴力的に排除した。この排除は、現代に到るまであらゆる理性的探究の中で基本的に引き継がれている。――ミシェル・フーコーはかつて歴史研究の立場からそう主張した。これに対してジャック・デリダは哲学的観点から、そうした歴史的な排除を、哲学的テクストである『省察』から読み取るべきではないと批判した。本発表では、いわゆるこのフーコーデリダ論争を通じて、いかに『省察』で狂気が排除されているのか、フーコーの考えを浮き彫りにしてみたい。またフーコーは、デリダへの反論の中で、デリダが狂気の排除を読み取れなかったのは、デリダの理性的思考自身が狂気排除に加担しているからだと示唆している。この示唆を掘り下げて検討することで、今日私たちはいかに、他者を排除することなく思考することができるのか、ひとつの可能的方途を探ってみたい。

参考文献
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