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2008-11-29

[][] 第五回質的心理学会  第五回質的心理学会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  第五回質的心理学会 - 日曜社会学>社会学的告知  第五回質的心理学会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

http://www.human.tsukuba.ac.jp/~quality-psy/conference08/

於、筑波大学 11月29日、11月30日 

4 大会シンポジウム 「テクノロジーと質的研究」

  • 企画:山崎敬一(埼玉大学)茂呂雄二(筑波大学
  • 登壇者:葛岡英明(筑波大学)久野義徳(埼玉大学)綿貫啓一(埼玉大学)

6 大会シンポジウム 「学びに再生する看護研究:実践の可視化と質的研究」

7 チュートリアル1 「エスノメソドロジー再入門」(仮)

[] 第五三回 哲学/倫理学セミナー  第五三回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  第五三回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知  第五三回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

http://pe-seminar.hp.infoseek.co.jp/

第一部  13時30分から14時30分まで

構想発表

1781年の『純粋理性批判』刊行以来今日に至るカント哲学の受容において最も影響力の強かった三つの著作として、ヘーゲル『信と知』、ハイデガー『カントと形而上学の問題』、ストローソン『意味の限界』を挙げることができる。それぞれの歴史的布置に応じて必然的に展開された三者三様の『純粋理性批判』解釈は、私たちに次のような一事を告げ知らせている。すなわち『純粋理性批判』は、今日に至るまでの後続の哲学者がそこから出発すべき一つの到達点であると同時に、それとの対決を通じて乗り越えるべき一つの限界として受け止められてきたということである。本発表では、第一に、これらの三つの『純粋理性批判』解釈において、三人の哲学者がどの点までカントに寄り添い、そしてどの点で「乗り越え」を試みたのかを概観したい。第二に、この三つのカントの「乗り越え」に学びつつ、今日の私たちにとって必要な『純粋理性批判』の扱いについて考察してみたい。ヘーゲルハイデガー、ストローソンがカントを「乗り越え」てしまったことによって発掘されることのないままにとどまったカントを展開することができると考えるからである。そう考えることを通じて私は、カント自身が「カント」を乗り越えている、という可能性を探ってみたい。

第二部  14時40分から16時40分まで

発表
  • 「革命の主体―バタイユにおける主体概念の研究―」佐々木 雄大

主体的な人間とは何か。バタイユの答えはただちには明確ではない。たとえば、『宗教の理論』の場合、主体sujetとは、対象objetとつり合う存在であり、供儀によって破壊されるべきもの、として位置づけられる。しかし他方で、『至高者』においては、至高性によって開かれるものこそが、主体性subjectiviteである、と語られるのである。この主体についての二重性はまた―翻って言うなら―、他者との関係についても見ることができる。すなわち、他者と何らかの関係を結ぶかぎり―かりに王と臣下の関係であったとしても―、至高者とはなりえず、対象との隔てないコミュニケーションを結ばないかぎり、主体の外へと出ることはできない。本発表では、こうしたバタイユにおける主体概念の問題を解き明かし、そこから他者との関係を捉え返すことにしたい。

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