2010-01-30
■ [Hu] 第六三回 哲学/倫理学セミナー

http://pe-seminar.hp.infoseek.co.jp/
- 平成22年1月30日(土)13時30分から16時40分まで
- 文京区民センター 3-B会議室 (http://pe-seminar.hp.infoseek.co.jp/map.html)
第一部 13時30分から14時30分まで
- 構想発表 「規範の根拠」宮村 悠介
根源的な規範をめぐる哲学者の思考は、その哲学者が構想する倫理についての学の特徴と密接に関連している。道徳法則と定言命法をめぐるカントの思考も、〈人倫の形而上学〉という独特な学の構想を考慮しなければ、十分には捉えきれないようにおもわれる。本発表はこの学の性格に注意しつつ、「規範の根拠」をめぐるカントの思考を検討する。この検討を通じて、「よく生きる」という人間存在にとっての普遍的な課題における、学としての、あるいは形而上学としての、倫理学のあるべき位置と可能性を考えたい。
- 【参考文献】
- カント『道徳形而上学原論』 篠田英雄訳〈岩波文庫〉(岩波書店、一九七六年)ISBN:4003362519
- カント『実践理性批判』波多野精一、宮本和吉、篠田英雄訳〈岩波文庫〉(岩波書店、一九七九年)ISBN:400336256X
第二部 14時30分から15時30分まで
- 構想発表 「交換と贈与」佐々木 雄大
贈与とは一体何だろうか。よく知られているように、M.モースの『贈与論』において贈与の問題は、「贈られたものに潜むどんな力が、受け取った人にその返礼をさせるのか」と問われていた。しかし、このように問うことによって、贈与はすでに取り逃されている。というのも、贈与があらかじめ返礼を期待するかぎりで、交換のうちに繰り込まれてしまっているからである。とはいえ、贈与が交換のもとでしか問われえないのは決して偶然ではない。では、もし交換に回収されない純粋な贈与というものがあるとすれば、それは一体いかなるものか。バタイユにおける贈与論を検討することによって、交換と贈与の問題について考えてみたい。
- 【参考文献】
- M.モース『贈与論』吉田禎吾・江川純一訳〈ちくま学芸文庫〉(筑摩書房、二〇〇九年)ISBN:4480091998
- バタイユ『宗教の理論』湯浅博雄訳〈ちくま学芸文庫〉(筑摩書房、二〇〇三年)ISBN:4480086978
- J. Derrida,"Donner le Temps 1", Galilee, 1991.
第三部 15時30分から16時30分まで
- 構想発表 「コルプス(聖体=共同体)と倫理」三重野 清顕
ひとつの共同体のうちには、いかに希薄であるように見えても、個別的な構成員を結びつける紐帯としての共同性がある。そしてこのような共同性の起源を問うにあたって、その時間的構造に着目して考えることはひとつの重要なテーマとなりうるように思える。たとえばキリスト教的な共同体においては、時間のうちにおいて過ぎ去ったできごと(キリストの死と復活)が想起(アナムネーシス)され、直接的定在として現在化されることによって、そのつどキリストの「神秘的身体corpus mysticum」(DS.870)としての教会共同体が再生産されることになるのである。ここには歴史のうちで消滅してゆく身体と、時間をこえて永続的なものとしてつねに再生産されつづける身体という二重性がみられる。このときに共同体を創設する歴史的生起と想起にまつわる時間的な構造はいかなるものなのか、本発表においては、おもにヘーゲルのテクスト(『精神の現象学』の「啓示宗教」)に即して考えてみたい。
- 【参考文献】
- ヘーゲル『精神の現象学』(上 下)ISBN:458276200X ISBN:4582762069
- カントローヴィッチ『王の二つの身体』(上 下)小林公訳〈ちくま学芸文庫〉(筑摩書房、二〇〇三年)ISBN:4480087648 ISBN:4480087656
- カントローヴィッチ『祖国のために死ぬこと』甚野尚志訳(みすず書房、二〇〇六年)ISBN:4622072386
