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2010-06-26

[] 第六八回 哲学/倫理学セミナー  第六八回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  第六八回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知  第六八回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

http://pe-seminar.hp.infoseek.co.jp/


第一部  14時30分から15時30分まで 

  • 構想発表 「活動と完全性――アリストテレス倫理学における完全性について――」 加藤 喜市

 アリストテレスの『ニコマコス倫理学』の中で,「完全性」という概念が重要な働きを担う文脈は,二つ存在している.まず,第10巻前半の快楽論において,この概念が中心的な役割を果たしていることは,否定され得ないだろう.そこで語られるのは,快楽が(i)「完全なものであり」,(ii)「完全な活動に付随して」,(iii)「活動を完全にする」という三つの論点である.実際,「快楽とは完全化にほかならない」という解釈も提出されるほどに,二つの概念は分かちがたく結びついている.

 また完全性は,ギリシア語における「目的」概念との密接な関係からすると当然ともいえるが,幸福論という文脈では,いわば鍵概念として機能する.幸福論に属する第1巻では,主として目的・生・徳の完全性というかたちで完全性の概念が現れる.他方,第10巻後半の幸福論における,完全な幸福と二次的な幸福(=観想的生と実践的生)という対比は,同箇所の幸福論の主軸を成すものといえるだろう.

 快楽論と幸福論における完全性の意味合いを問うことを通して,アリストテレス倫理学における快楽と幸福の関係を再検討すること,および完全性概念の持つ哲学的意義を汲み取ることが,論文全体の課題となる.『形而上学』Δ巻第16章の規定を手掛かりにしつつ,上記二つの文脈を取りあげて,それぞれにおける完全性の諸相を明らかにすることが,論攷の主たる作業となるだろう.本発表では,その概要を述べることで,構想を示すこととしたい.

【参考文献】

第二部  15時40分から16時40分まで

  • 構想発表 「構造転換の可能性――ラカンにおけるディスクール間の移行について――」 荒谷 大輔

 「享受せよ」という無意識の指令を、資本主義体制における主体は、個的主体の趣味的な消費へ移し替え、そのことによってシステム内に自らの位置を得る。だが、そうした消費社会の主体は、ラカンによれば、生産手段としての知(ノウハウ: savoir-faire)を稼働させて剰余を産出しながら、手の先から零れ落としてその享楽をシステムに受け渡す。よく知られるようにラカンは、欲望の構造化において機能する四つのエレメント(S1,S2,a,Sbarré)の配置によって規定される四つのディスクールのうち、資本主義のディスクールととりわけ親和的なものを、「主人のディスクール」に見たのであった。

 本発表では、しばしば、ラカンのテクストだけを根拠に上滑り的に語られるこうした説明図式の妥当性を、哲学の歴史的文脈と社会的現実性に照らして検討しつつ、ラカンの語るディスクール間の転換の可能性について考察したい。コジェーブ経由で参照されるヘーゲルの主奴の弁証法は、そもそも、自己意識的な主体の形成を論理的に記述するための図式であったが、それは、市民社会=資本主義社会における主体の有り様を跡づけるものと捉え直すこともできる。ラカンにおける市民社会論の精神分析的読み替えを辿り直すことで、構造が変化する可能性の糸口を探っていきたい。

【参考文献】
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