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2010-11-27

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第七〇回例会

第一部  13時30分から15時00分まで 
  • 発表 「バタイユ『無神学大全』と『呪われた部分』のあいだ」 佐々木 雄大

バタイユの二つの思想体系『無神学大全』(一九四三―四五)と『呪われた部分』(一九四五―五四)の間に、表現方法における大きな差異があることは、しばしば指摘されてきたことである。前者においては、神秘的な体験を、あえて経験に相即するように無秩序な形で提示するのに対して、後者においては、社会的・経済的事象が、概念的に把握され叙述されているのである。

こうした違いは、たんに執筆時期が異なるとか、扱う主題が異なるとか、そうしたことだけで説明することはできない。というのも、バタイユレヴィナスの中に見出した「えも言われぬ体験を伝達するという問題」は、まさしくバタイユ自身の哲学の問題でもあるからである。すなわち、概念的認識から逃れる体験をそれでも概念的に把握し記述するとはいかなることか、という問題である。

本発表では、コジェーヴを補助線として引きつつ、時間と概念の関係、概念一般における「未知のもの」の位置づけ、そして、体験を概念的言説によって語る意義について検討していきたい。この検討を通じて、『無神学大全』と『呪われた部分』の間にあるものこそ、バタイユ哲学の主要な問題のひとつである、ということが明らかになるだろう。

第二部  15時10分から16時40分まで
  • 構想発表「ロックとライプニッツの有限性の自我論」 中野 裕考

「自己意識の反省モデル」としてディーター・ヘンリッヒに名指しされたデカルト、ロック、ライプニッツ、ルソー、カントの自我論は、実は反省モデルとはいえないのではないか、という疑問が本研究の出発点である。反省に基づいて自己意識の成り立ちを跡づける自我論の難点をフィヒテと初期ロマン派が(あるいはヘンリッヒが)乗り越える、という図式に対しては、カントに関してはすでに盛んに反論が提出されている。本研究の最終目標は、カントについてもそうだがそれ以外の上記の哲学者の自我論も、反省モデルを免れた仕方で組み立てられていることを示すことである。今回はロックとライプニッツを取り上げ、彼らの自我論に関して次のような論点を提示し、解答に向けた展望を示したい。それぞれの体系における「反省」と自己意識はどのような関係に置かれているか。反省によっては捉えられないにもかかわらず依然として自己と呼ばれうる側面をロックもライプニッツも見て取っているのだが、それはいかなる資格で「自己」とみなされるのか。この、いわば反省を逃れ去る自己は明示的な自己意識の成り立ちにとってどのような役割を果たすのか。最後に、自分自身を全体として知ることができないという人間の知性の有限性が人間の時間的な在り方を不可避的で本質的なものとしているようなのだが、この時間性が反省されざる自己をいかにして生起せしめるものなのか。こうした諸点の考察を通じて一種の有限性の自我論を素描し、ヘンリッヒの単純化された図式に異を唱えてみたい。

  • 【参考文献】
    • ロック『人間知性論』(とくに第二巻第十三章、第二十七章)
    • ライプニッツ『人間知性新論』(とくに序文、第一巻)
    • ライプニッツモナドロジー』『理性に基づく自然と恩寵の原理』
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