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2019-06-29

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第一部 発表

  • ベルクソンの「自由行為」を拾い直してみる(中原真祐子)

 ベルクソンは、その最初の著作である『意識に直接与えられたものについての試論』において、「自由」は行為と具体的自我とのあいだの関係であるとし、「われわれは自由であるがゆえに、その関係は定義不可能である」と論じた(第3章末尾)。定義不可能とされたその「関係」、つまりベルクソン的自由とはどのようなものなのか。

 本発表では、ベルクソンの自由行為についての議論を、『試論』第2章の「具体的自我」の議論を踏まえた上で、検討してみたい。検討の材料として同書が人間の行為について与えている複数の具体的なスケッチに着目し、それを解釈していくことで、かれが「自由行為」を、どのようにイメージしていたのかを析出することを目指したい。この作業は、ベルクソンの「自由」論を読み解く際の、基礎を固める作業となるはずである。

  • 【参考文献】
    • アンリ・ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論(時間と自由)』
    • 同『物質と記憶
      (いずれも邦訳が複数あります。)

第二部 発表

  • 「理解」の構造――レーヴィットの共同相互存在論(大澤真生)

 私たちは何をよすがにして他者を理解しているのか。また、他者を理解するということは、他者をどのような仕方で理解することなのか。

 カール・レーヴィットは著書『共同人間の役割における個人』(以下『個人』)において、関係規定的な人間存在(共同相互存在)のありかたを、他者に対する「ふるまい」の構造分析をつうじて明らかにすることをこころみる。そうした一連の分析のなかで、レーヴィットが「ふるまい」の様式のひとつとして、特権的なかたちで、他者との相互的な「語り」の場面を詳細に取りあげているということを、どのように解釈するべきか。本発表は、『個人』におけるレーヴィットの「語り」をめぐる所論を、他者を理解することの問題系として整理・検討しようとするものである。すなわち、第一に、レーヴィットが描出する「語り」を、互いに相手を理解することを目的とする他者本位のふるまいとして把捉し、その内実を明らかにしたうえで、第二に、レーヴィットの共同相互存在論において「他者を理解する」というふるまいが帯びている倫理的意義について検討を加えることにしたい。

 対話は、理解しようとする他者とのあいだに、言い換えれば、未だ理解しえない他者とのあいだに立ち現れるふるまいである。本発表はレーヴィットの所論をつうじて、「語り」が本質的に孕んでいる他者の理解不可能性を、「語り」の倫理性として抽出することを目指す。

  • 【参考文献】
    • カール・レーヴィット『共同人間の役割における個人』(熊野純彦訳『共同存在の現象学』)

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