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2019-12-01

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シンポジウム「初期現象学における女性─情と社会という観点から」

  • 法政大学(市ヶ谷キャンパス)
  • 大会参加費:会員無料、非会員500円(大学学部生は無料)
  • 15:30~18:00
  • 企画趣旨・概要 http://www.jspss.org/taikai36.html#symp1

 哲学史研究は、それが着目する時代(と地域)における大哲学者たち——たとえばプラトンアリストテレス、カントやヘーゲル、あるいは現象学の伝統に目 を向けるならば、フッサールハイデガーメルロ=ポンティレヴィナス——の著作を丹念に読み、それぞれの思想やそれらが織りなす布置を明らかにするこ とを目指す傾向にある。たとえば、フッサールは後期の著作や草稿で何に取り組んだのか、『存在と時間』のハイデガーは何を主張したのか、そしてそれらを付 き合わせることで何が見えてくるのか、という具合に。

 哲学史研究のなかで主役として扱われる哲学者たちの古典的著作、つまりカノン(正典)がまさにカノンとしての地位を占めていることには、たしかにもっと もな理由がある場合のほうが多いだろう。個別の事情を無視して単純化してしまえば、ひとつには、それらの著作には総じて何らかの際立った意義があり、それ を読み解くことが他の手段では得難い何らかの知見をもたらしてくれるから、という理由が挙げられるはずだ。

 だが、現在私たちが手にしているカノンのリストが完全であり、哲学史研究がまずもって扱うべきテクストがそれによって尽くされているということは、あり そうにない。私たちは、着目すべき哲学者たちとその著作を忘却してしまっているのではないだろうか。その忘却によって、重要な何かが捉え損ねられているの ではないだろうか。

 こうした状況にあって、近年の哲学史研究では、カノンの見直しという作業がさまざまなかたちで着手されている。ひとことで言えば、それは、過去のある時 代(と地域)の哲学をすでに定まったカノンを中心にして捉えることで周縁化されてしまった哲学者や哲学的著作を忘却から救い出し、それらに研究に値する対 象としての地位を与える試みである。

 ただしすぐさま付け加えなければならないのは、ここでの中心と周縁の内実は、研究対象となる時代と地域によって異なりうるということだ。18世紀末から 19世紀前半にかけてのドイツ古典哲学の研究の場合、その中心となるのはあくまでも大学の哲学教授(カント、フィヒテシェリングヘーゲル)だろう。そ れに対して19世紀後半のドイツ哲学史研究では、哲学教授たちはむしろ周縁的な存在として扱われる(これまでの哲学史研究でこの時代と地域の主役格として 扱われてきたのがショーペンハウアーニーチェマルクスといった人たちだということを思い出そう)。また、周縁に追いやられたテクストの名誉回復のやり 方についても、見解がひとつに定まるとは限らない。それらのテクストを「新しいカノン」とみなすのか、それとも、カノンという考え方そのものを拒否するか たちでそれらを研究すべきなのかについて、議論の余地が残されている。

 本シンポジウムは、いま述べたような点にも留意したうえで、エディット・シュタイン、ゲルダ・ヴァルター、エルゼ・フォークトレンダーという、これまで の現象学史研究において周縁に留まり続けてきた三人に着目する。近年再評価の進む、つまり裏を返せばそれまであまり顧みられなかったミュンヘン・ゲッティ ンゲン現象学派に属し、女性であったために大学でのキャリア形成に際して大きな困難に直面したこの三人は、「情と社会」と大まかに括ることができる主題に 関して、優れた論考を残している。お定まりのカノンだけを読む目には入ってこないこれらの論考の検討を通じて、現象学の過去に関する私たちの見方に潜む偏 りを浮かび上がらせることを目指したい。

 最後に、本シンポジウムと「フェミニスト哲学史」と呼ばれる研究との関係について一言述べておきたい[1]。多様でありうるし、また実際に多様であるカ ノンの見直しという作業のひとつであるこの動向は、これまでの哲学史研究のなかで周縁化されてきた女性哲学者とその著作に光をあてることで、男性的なもの という哲学の自己イメージを払拭するという共通の目的を持つ(いうまでもなく、この目的をどうやって実現するのかに応じて、フェミニスト哲学史の内部にも 多様な方向性がある)。三人の女性哲学者の著作を掘り起こし検討する本シンポジウムの各提題は、少なくともこうした研究の基礎として位置づけることもでき る。だが、いま述べたような目的に対して本シンポジウムがいかなる寄与をどれくらい行いうるのかという点については、おそらくより慎重な議論が必要であ る。というのも、過去に優れた女性哲学者がいたことの指摘そのものは、そこでの優秀さの捉え方次第では、問題となっている哲学のイメージに揺さぶりをかけ るどころか、それを強化することにもなりかねないからだ。こうした問題も視野に収めつつも、まずは読まれるべきテクストとその声を忘却から救い出すこと、 このことを本シンポジウムは目指している。

(企画実施責任者:植村玄輝)

  • 提題者:
    • 八重樫 徹(広島工業大学)「エルゼ・フォークトレンダーの愛の現象学
    • 横山 陸(中央大学)「ゲルダ・ヴァルターにおける「内的合一」の概念について」
    • 陶久 明日香(成城大学)「エディット・シュタインにおける女性と共同体(仮)」
  • 司会: 植村 玄輝(岡山大学
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