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2020-01-25

[] 2019年度 描写の哲学研究会  2019年度 描写の哲学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  2019年度 描写の哲学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知  2019年度 描写の哲学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

概要

描写の哲学研究会は、科学研究費補助金若手研究「描写の哲学を現代ポピュラー文化における画像使用の実践に接続する」(課題番号:19K12985、研究代表者:松永伸司)の一環として開催する一般公開の研究会です。

描写の哲学(philosophy of depiction)とは、絵や写真などの画像による表象にまつわる諸問題を扱う現代美学の一分野です。

2019年度は、描写の哲学が専門の銭清弘、難波優輝、村山正碩の3氏を招いて、画像表象をめぐる最先端のトピックについて議論します。

内容は少なからず美学・芸術哲学の専門家向けになると思いますが、「描写の哲学面白いよ」というアピールも兼ねているので、描写の哲学や分析美学の前線に関心がある方や、現代の視覚表象文化を哲学的に考えることに関心がある方は、ぜひご参加いただければと思います。

  • 日時:2020年1月25日(土)13:00~最長18:00(開場12:30)
  • 場所:大妻女子大学 千代田キャンパス 大学校舎H棟 H215
  • 主催:松永伸司
  • 協力:森功
  • 参加費:無料

※予約不要です。

※不明点などあれば松永(matsunagashinji[at]dpctgmail.com)までお問い合わせください。

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2019-12-21

[] 日本ヤスパース協会 第36回大会:ヤスパース没後50年記念大会  日本ヤスパース協会 第36回大会:ヤスパース没後50年記念大会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  日本ヤスパース協会 第36回大会:ヤスパース没後50年記念大会 - 日曜社会学>社会学的告知  日本ヤスパース協会 第36回大会:ヤスパース没後50年記念大会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

http://jaspers.sakura.ne.jp/thisyear.html

  • 日時 : 2019年12月21日(土) 13:00~17:30
  • 場所 : 日本映画大学 白山キャンパス 211教室
    (小田急線「新百合ヶ丘」駅 南口よりバス約10分)
  • プログラム
    • 1.理事長挨拶 (13:00 ~ )      日本ヤスパース協会理事長  中山 剛史 
    • 2.会員総会
    • 3.研究発表 (13:15 ~ )
      司 会  早稲田大学非常勤講師  大沢 啓徳
    • 4.シンポジウム「理性と実存・再考」(15:00 ~ )
      司 会  日本大学教授  平野 明彦 
      • (1) 「交わり」の観点からみた実存と理性――「実存的交わり」と「理性的交わり」(玉川大学教授  中山 剛史)
      • (2) 「実存開明」と「包越者の諸様態の開明」(法政大学非常勤講師  越部 良一)
    • 5.懇親会 (18:30 ~ )
  • 会場:日本映画大学・白山キャンパス(所在地:〒215-0014 神奈川県川崎市麻生区白山2-1-1)
    • 小田急線「新百合ヶ丘」駅 南口バスターミナルより約10分(「日本映画大学前」にて下車)
      • 3番バス乗場から【新10】 「新ゆりグリーンタウン」行き
      • 6番バス乗場から【新15】 「大谷」行き
      • 7番バス乗場から【新17】 「聖マリアンナ医科大学」行き
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2019-12-15

[] 『障害社会学という視座――社会モデルから社会学的反省へ』書評会  『障害社会学という視座――社会モデルから社会学的反省へ』書評会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  『障害社会学という視座――社会モデルから社会学的反省へ』書評会 - 日曜社会学>社会学的告知  『障害社会学という視座――社会モデルから社会学的反省へ』書評会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

参加自由。事前申し込み不要。

  • お問い合わせ
    • 東京大学大学院総合文化研究科 榊原賢二郎 sakakibara_kenjirou[at]yahoo.co.jp
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2019-12-01

[] シンポジウム「初期現象学における女性─情と社会という観点から」  シンポジウム「初期現象学における女性─情と社会という観点から」 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  シンポジウム「初期現象学における女性─情と社会という観点から」 - 日曜社会学>社会学的告知  シンポジウム「初期現象学における女性─情と社会という観点から」 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント


シンポジウム「初期現象学における女性─情と社会という観点から」

  • 法政大学(市ヶ谷キャンパス)
  • 大会参加費:会員無料、非会員500円(大学学部生は無料)
  • 15:30~18:00
  • 企画趣旨・概要 http://www.jspss.org/taikai36.html#symp1

 哲学史研究は、それが着目する時代(と地域)における大哲学者たち——たとえばプラトンアリストテレス、カントやヘーゲル、あるいは現象学の伝統に目 を向けるならば、フッサールハイデガーメルロ=ポンティレヴィナス——の著作を丹念に読み、それぞれの思想やそれらが織りなす布置を明らかにするこ とを目指す傾向にある。たとえば、フッサールは後期の著作や草稿で何に取り組んだのか、『存在と時間』のハイデガーは何を主張したのか、そしてそれらを付 き合わせることで何が見えてくるのか、という具合に。

 哲学史研究のなかで主役として扱われる哲学者たちの古典的著作、つまりカノン(正典)がまさにカノンとしての地位を占めていることには、たしかにもっと もな理由がある場合のほうが多いだろう。個別の事情を無視して単純化してしまえば、ひとつには、それらの著作には総じて何らかの際立った意義があり、それ を読み解くことが他の手段では得難い何らかの知見をもたらしてくれるから、という理由が挙げられるはずだ。

 だが、現在私たちが手にしているカノンのリストが完全であり、哲学史研究がまずもって扱うべきテクストがそれによって尽くされているということは、あり そうにない。私たちは、着目すべき哲学者たちとその著作を忘却してしまっているのではないだろうか。その忘却によって、重要な何かが捉え損ねられているの ではないだろうか。

 こうした状況にあって、近年の哲学史研究では、カノンの見直しという作業がさまざまなかたちで着手されている。ひとことで言えば、それは、過去のある時 代(と地域)の哲学をすでに定まったカノンを中心にして捉えることで周縁化されてしまった哲学者や哲学的著作を忘却から救い出し、それらに研究に値する対 象としての地位を与える試みである。

 ただしすぐさま付け加えなければならないのは、ここでの中心と周縁の内実は、研究対象となる時代と地域によって異なりうるということだ。18世紀末から 19世紀前半にかけてのドイツ古典哲学の研究の場合、その中心となるのはあくまでも大学の哲学教授(カント、フィヒテシェリングヘーゲル)だろう。そ れに対して19世紀後半のドイツ哲学史研究では、哲学教授たちはむしろ周縁的な存在として扱われる(これまでの哲学史研究でこの時代と地域の主役格として 扱われてきたのがショーペンハウアーニーチェマルクスといった人たちだということを思い出そう)。また、周縁に追いやられたテクストの名誉回復のやり 方についても、見解がひとつに定まるとは限らない。それらのテクストを「新しいカノン」とみなすのか、それとも、カノンという考え方そのものを拒否するか たちでそれらを研究すべきなのかについて、議論の余地が残されている。

 本シンポジウムは、いま述べたような点にも留意したうえで、エディット・シュタイン、ゲルダ・ヴァルター、エルゼ・フォークトレンダーという、これまで の現象学史研究において周縁に留まり続けてきた三人に着目する。近年再評価の進む、つまり裏を返せばそれまであまり顧みられなかったミュンヘン・ゲッティ ンゲン現象学派に属し、女性であったために大学でのキャリア形成に際して大きな困難に直面したこの三人は、「情と社会」と大まかに括ることができる主題に 関して、優れた論考を残している。お定まりのカノンだけを読む目には入ってこないこれらの論考の検討を通じて、現象学の過去に関する私たちの見方に潜む偏 りを浮かび上がらせることを目指したい。

 最後に、本シンポジウムと「フェミニスト哲学史」と呼ばれる研究との関係について一言述べておきたい[1]。多様でありうるし、また実際に多様であるカ ノンの見直しという作業のひとつであるこの動向は、これまでの哲学史研究のなかで周縁化されてきた女性哲学者とその著作に光をあてることで、男性的なもの という哲学の自己イメージを払拭するという共通の目的を持つ(いうまでもなく、この目的をどうやって実現するのかに応じて、フェミニスト哲学史の内部にも 多様な方向性がある)。三人の女性哲学者の著作を掘り起こし検討する本シンポジウムの各提題は、少なくともこうした研究の基礎として位置づけることもでき る。だが、いま述べたような目的に対して本シンポジウムがいかなる寄与をどれくらい行いうるのかという点については、おそらくより慎重な議論が必要であ る。というのも、過去に優れた女性哲学者がいたことの指摘そのものは、そこでの優秀さの捉え方次第では、問題となっている哲学のイメージに揺さぶりをかけ るどころか、それを強化することにもなりかねないからだ。こうした問題も視野に収めつつも、まずは読まれるべきテクストとその声を忘却から救い出すこと、 このことを本シンポジウムは目指している。

(企画実施責任者:植村玄輝)

  • 提題者:
    • 八重樫 徹(広島工業大学)「エルゼ・フォークトレンダーの愛の現象学
    • 横山 陸(中央大学)「ゲルダ・ヴァルターにおける「内的合一」の概念について」
    • 陶久 明日香(成城大学)「エディット・シュタインにおける女性と共同体(仮)」
  • 司会: 植村 玄輝(岡山大学
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2019-09-08

[] 現代倫理学研究会9月例会:荻原理『マクダウェルの倫理学』合評会  現代倫理学研究会9月例会:荻原理『マクダウェルの倫理学』合評会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  現代倫理学研究会9月例会:荻原理『マクダウェルの倫理学』合評会 - 日曜社会学>社会学的告知  現代倫理学研究会9月例会:荻原理『マクダウェルの倫理学』合評会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

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2019-08-25

[] 第131回 哲学/倫理学セミナー  第131回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  第131回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知  第131回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

 思考のラディカリテートを、単に表面的なアクチュアリテートのみを追い求めることなく、その歴史の〈深さ〉に探り当てていこう、そのような趣旨で立ち上がりました「哲学/倫理学セミナー」も、下記の通り、131回目を開催する運びとなりました。引き続き、皆様と議論を深めていきたいと思っております。

 今回は、特別企画として、荒谷大輔氏『ラカンの哲学』(2018年、講談社)合評会を開催することとなりました。難解をもって鳴るラカンの思想を「哲学」として読み解き、話題を集めた本書について、原和之氏と山本耕一氏からコメントをいただき、著者からの応答と議論で進めてまいりたいと思います。残暑厳しいさなかとなりますが、皆様の奮ってのご参加をお待ちしております。

第131回 哲学/倫理学セミナー
【特別企画】荒谷大輔著『ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析』合評会

フロイトが創始した精神分析を刷新し続けた不世出の存在、ジャック・ラカン(1901-81年)。1953年から最晩年の1980年まで続けられたセミネールでは何が起きていたのか? 主著『エクリ』をも読み解きつつ、セミネールの全展開を時系列順に通観していく本書は、ラカンを「哲学」として読むことによって前人未到の眺望を獲得していく。気鋭の哲学者が渾身の力をそそいで完成した、平易にして画期的な本格的概説書!
(続きはこちら: http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195632

  • 【諸注意】
    • ★通常の例会とは異なり、「日曜日」の開催です。
      • ご参加にあたって、事前連絡等は不要です。直接会場にお越しください。
      • 会場の「東大本郷キャンパス法文1号館215」は、地下鉄各線「本郷三丁目」「東大前」「根津」からそれぞれ徒歩15分ほどの距離にあります。「正門」の利用が便利です。
        会場 google map: https://goo.gl/maps/1Uy8QkLPc1qhzeAd7
      • 御茶ノ水駅からバスでいらっしゃる場合は、「茶51 駒込駅南口行き」「東43 荒川土手行き」で、「東大正門前」バス停下車徒歩2分です。
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2019-08-24

[] 哲学プラクティス連絡会第5回大会  哲学プラクティス連絡会第5回大会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  哲学プラクティス連絡会第5回大会 - 日曜社会学>社会学的告知  哲学プラクティス連絡会第5回大会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

http://philosophicalpractice.jp/information/table2019/

https://www.facebook.com/philosophical.practice.japan

  • 日時:2019年8月24日(土)、25日(日)
  • 場所:立正大学品川キャンパス3号館1階、2階
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2019-06-29

[] 第130回 哲学/倫理学セミナー  第130回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  第130回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知  第130回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

https://peseminar25.wixsite.com/peseminar/130

第一部 発表

  • ベルクソンの「自由行為」を拾い直してみる(中原真祐子)

 ベルクソンは、その最初の著作である『意識に直接与えられたものについての試論』において、「自由」は行為と具体的自我とのあいだの関係であるとし、「われわれは自由であるがゆえに、その関係は定義不可能である」と論じた(第3章末尾)。定義不可能とされたその「関係」、つまりベルクソン的自由とはどのようなものなのか。

 本発表では、ベルクソンの自由行為についての議論を、『試論』第2章の「具体的自我」の議論を踏まえた上で、検討してみたい。検討の材料として同書が人間の行為について与えている複数の具体的なスケッチに着目し、それを解釈していくことで、かれが「自由行為」を、どのようにイメージしていたのかを析出することを目指したい。この作業は、ベルクソンの「自由」論を読み解く際の、基礎を固める作業となるはずである。

  • 【参考文献】
    • アンリ・ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論(時間と自由)』
    • 同『物質と記憶
      (いずれも邦訳が複数あります。)

第二部 発表

  • 「理解」の構造――レーヴィットの共同相互存在論(大澤真生)

 私たちは何をよすがにして他者を理解しているのか。また、他者を理解するということは、他者をどのような仕方で理解することなのか。

 カール・レーヴィットは著書『共同人間の役割における個人』(以下『個人』)において、関係規定的な人間存在(共同相互存在)のありかたを、他者に対する「ふるまい」の構造分析をつうじて明らかにすることをこころみる。そうした一連の分析のなかで、レーヴィットが「ふるまい」の様式のひとつとして、特権的なかたちで、他者との相互的な「語り」の場面を詳細に取りあげているということを、どのように解釈するべきか。本発表は、『個人』におけるレーヴィットの「語り」をめぐる所論を、他者を理解することの問題系として整理・検討しようとするものである。すなわち、第一に、レーヴィットが描出する「語り」を、互いに相手を理解することを目的とする他者本位のふるまいとして把捉し、その内実を明らかにしたうえで、第二に、レーヴィットの共同相互存在論において「他者を理解する」というふるまいが帯びている倫理的意義について検討を加えることにしたい。

 対話は、理解しようとする他者とのあいだに、言い換えれば、未だ理解しえない他者とのあいだに立ち現れるふるまいである。本発表はレーヴィットの所論をつうじて、「語り」が本質的に孕んでいる他者の理解不可能性を、「語り」の倫理性として抽出することを目指す。

  • 【参考文献】
    • カール・レーヴィット『共同人間の役割における個人』(熊野純彦訳『共同存在の現象学』)

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2019-04-28

[][] アクターネットワーク理論と社会学研究会  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

★準備の都合上、参加予定の方はできるだけ下記アドレスまで事前にご連絡ください。★

★今回は参加できない場合でも、ご連絡をいただければ次回以降の開催予定等を共有させていただきます。★

今回は、現代フランスを代表する社会学者のリュック・ボルタンスキーを取り上げ、ご報告いただくことになりました。『正当化の理論』『資本主義の新たな精神』『胎児の条件』といった著作が邦訳されているボルタンスキーですが、アクターネットワーク理論(ANT)との接点も多く(以下の報告概要を参照)、社会の生成的な側面や遂行的な側面の捉え方について、理論・学説と経験的研究への応用という両面から考える機会にできればと思います。多くの方のご参加をお待ちしております。


  • 1)13:00~15:00ごろ
    「二つのプラグマティック社会学:その交差点と分岐点」
    話題提供者:小田切祐詞 氏(神奈川工科大学

ブリュノ・ラトゥールは、『社会的なものを組み立て直す』の中で、「社会的なものの社会学」と「連関の社会学」を区別し、前者の亜流としてピエール・ブルデューの「批判社会学」を、後者の下位類型の一つとして自身の「アクターネットワーク理論」を挙げている。ところで、ラトゥールも指摘しているように、ブルデュー社会学を「批判社会学」と最初に形容したのはリュック・ボルタンスキーであり、彼は自らの社会学を「批判の社会学」と呼ぶことで、ブルデュー社会学との差異化を図った。では、同じようにブルデュー社会学と距離を取ろうとするラトゥールの「アクターネットワーク理論」とボルタンスキーの「批判の社会学」はいかなる関係にあるのか。この問いに答えるために、本報告では、現在フランス社会学で市民権を獲得しつつある「プラグマティック社会学」という呼称の意味内容を検討していく。

  • 2)15:00~17:00ごろ
    「“計算の中心(Center of Calculation)”から離れた統計をどうとらえるかーアクターネットワーク、コンヴァンシオン理論、そして数量化の社会学」
    話題提供者:ソンジュンウ 氏(コロンビア大学大学院)

本報告は、コンヴァンシオン理論との共同研究を通じて発展したアラン・デロジエールの数量化の社会学(sociology of quantification)に焦点を合わせ、計算装置の生産と流通を分析するラトゥールのアプローチとの相違について検討するものである。ものや出来事をそれが記録された現場から分離して、計算の中心(center of calculation)で動員できる形に翻訳するネットワークから生じる遠隔作用(action at distance)の可能性を論じたラトゥールの初期理論は、その可能性を拡大および安定化させようとする営みの連鎖(chain of abstraction)の中で様々な計算装置が果たす役割に注目した。このような計算装置の捉え方は、アクターネットワーク理論から由来したカロンとマッケンジーの遂行性アプローチのみならず、イギリスの会計の社会学的研究とアメリカの統計学史研究、そしてコンヴァンシオン理論にまでも影響を及ぼしたものである。本報告は、まず(1)ボルタンスキー、テヴノー、そしてデロジエールが共に取り組んでいた国立統計経済研究所(INSEE)の社会職業分類研究プロジェクト(1978-1981)から数量化の社会学を発展させた理論的問題を概観し、(2)その問題に対して数量化の社会学が初期ラトゥールと類似のアプローチを共有していたことを明らかにする。その上で、(3)数量化の社会学が1990年代以降に初期ラトゥールのアプローチから徐々に離れ、計算装置の生産と利用を導く多岐なるコンヴァンシオンの間の衝突と妥協の歴史に注目し、遠隔作用と計算装置の利用を結び付けるコンヴァンシオンを歴史的に相対化する方向へ進む過程を検討する。最後に本稿は、(4)このようなアプローチの転換が具体的な事例研究において持つ意味を示す例として、戦後日本官庁統計への国民経済計算の導入過程を取り上げる。

  • ソンさんの報告で取り上げる予定の文献:
    • 1) Boltanski, Luc., & Thévenot, Laurent. (1983). Finding one's way in social space: a study based on games. Social Science Information, 22(4/5), 641–680.
    • 2) Thévenot, Laurent. (1984). Rules and Implements: Investment in Forms. Social Science Information, 23(1), 1–45.
    • 3) Desrosières, Alain. (1991). How to Make Things which Hold Together: Social Science, Statistics and the State. In P. Wagner, B. Wittrrock, & R. Whitley (Eds.), Discourses on Society: The Shaping of the Social Science Disciplines (pp. 195–218). Dordrecht; Boston; London: Kluwer Academic Publishers.
    • 4) Desrosières, Alain. (2001). How Real Are Statistics? Four Possible Attitudes. Social Research, 68(2), 339–355.

※上記の文献が生産された、1970年代と1980年代のフランス国立統計経済研究所 (INSEE)をめぐる歴史的・学術的背景に関しては、Desrosières, Alain. (2011). The Economics of Convention and Statistics: The Paradox of Origins. Historical Social Research, 36(4), 64–81.が詳しく紹介している。


★連絡先: y_ttis[atmark]yahoo.co.jp (立石 裕二、関西学院大学

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2019-04-07

[] おんとうろじーず1:Thomas Hofweberの場合  おんとうろじーず1:Thomas Hofweberの場合 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  おんとうろじーず1:Thomas Hofweberの場合 - 日曜社会学>社会学的告知  おんとうろじーず1:Thomas Hofweberの場合 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

形而上学の守備範囲を、言語や認識といったわれわれ側にはない存在者とそれらの構造、なのだとしよう。近年、形而上学の営みそれ自体への批判が観測される。

それらは様々な形態をとるものの、おおむね次のように言う。「従来の形而上学は穏当さというものに欠ける。もっと穏当で達成可能なプロジェクトに方向修正すべきだ。」

形而上学への、ときに冷ややかで、ときに世話焼きな、愛憎入り混じった視線のさまざま ——《おんとうろじーず》。その一端をここに陳列する。形而上学になにができるのか? 形而上学になにができないのか?


「おんとうろじーず」検討の第一の矢として、形而上学の穏当化を推し進める論者の1人であるThomas Hofweberによる(無駄に長い?)2016年の著作 Ontology and the Ambitions of Metaphysics (OUP, 2016) を取り上げ、合評会を行います。

本書では、形而上学という学問領域について、他の諸学問に対して特権的な立場を採ることなく、その独自性と正当性を確保するという試みがなされています。そして、数・日常的対象・性質・命題などの伝統的な存在論的問題が具体的に取り上げられ、著者自らその立場での形而上学を実践して見せています。

形而上学の専門的な知識は前提にしません。形而上学のあるべき姿について、ひとつの立場を知りたい方はぜひお越しください。さまざまな背景、出自をもつみなさんの参加を待っています。みなさまお誘い合わせのうえ参加ください。

  • 日時|2019年4月7日(日)、17:00 – 20:00(開場は16:30)
  • 会場|杉並区阿佐ケ谷区民地域センター(第6会議室)
  • 会費|500円(会場費・資料印刷資料など)、カンパ・差し入れ歓迎
  • 内容|T. Hofweber, Ontology and the Ambitions of Metaphysics (OUP, 2016) の紹介と検討
  • 申込|フォーム https://goo.gl/forms/uinlkDJaxB6CknE62 から回答
  • 締切|2019年4月4日(ただし定員に達した場合その時点で受付終了)
  • 定員|40名
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2019-03-30

[]第129回 哲学/倫理学セミナー 第129回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク - 第129回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 第129回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

https://peseminar25.wixsite.com/peseminar


第一部 発表

  • レヴィナスにおける倫理の時間性について」石井雅巳

 レヴィナスの第一の主著と言われる『全体性と無限』(1961)には、一見矛盾しているかのような主張が共存している。すなわち、彼は一方で「他性はあらゆるイニシアティブ、〈同〉の帝国主義の全てに先立つ」と他者の自我に対する先行性を述べるにもかかわらず、他方で「他性は自我を起点にしてしか可能ではない」と逆の事態を語るからである。こうした自我と他者の順序や両者の前提関係にかんする記述をわれわれはいかに解釈すべきなのだろうか。また、この奇妙な自他の関係は『全体性と無限』にのみ認められるものなのだろうか。

 本発表では、第一に、レヴィナスも言及しているデカルト『省察』におけるいわゆるア・ポステリオリな神の存在証明、および連続創造説の論証構造を補助線としながら懸案の箇所を整合的に読解することで、倫理的関係に潜む時間の構造を析出することを狙う。そして第二に、上の読解で取り出される時間論的構造は、決して『全体性と無限』でのみ展開されているものではなく、1940年代の主体性や救済をめぐる文脈で既に現れており、さらには第二の主著『存在の彼方ヘ』(1974)における「隔時性」や「痕跡」概念にその徹底を見て取れることを示したい。以上によって、レヴィナスの主要著作における倫理的関係に通底する時間論を抉出することを目指す。

第二部 発表

  • レヴィナスにおけるア・プリオリ概念−−−−デュフレンヌ『ア・プリオリと主観性』の読解から」佐藤香

 レヴィナスが『全体性と無限』以降に着目した哲学者のひとりに、ミケル・デュフレンヌがいる。レヴィナスはデュフレンヌ『ア・プリオリと主観性』(1959)への書評を1962年に発表し、『実存の発見』の増補版で、1960年代の重要論文「他者の痕跡」「謎と現象」「言語と近さ」と同じセクションにこの書評を置いた。『他者のユマニスム』に収録されている「意義と意味」(1964)においては、レヴィナスがデュフレンヌの困難を指摘していることもあって、この書評が注目されることは稀である。しかし、本発表では、デュフレンヌのア・プリオリ概念への着目が、その後のレヴィナスにとって重要な契機となっていることを示したい。

 レヴィナスは、ア・プリオリ性を、多様なものの同一化を宣告する作用として提示する(Cf.「言語と近さ」(1967))。同時にレヴィナスは、ア・プリオリ性には他人との接触的関係が含まれていると考える(同)。自己の同一化作用が既にして他人との関係であるというこの考え方、そして「経験」と「ア・プリオリ」を基礎付けの関係として考えることの拒否は、『存在するとは別の仕方で』におけるレヴィナスの思考の主軸を形成することになる。では、他人との関係は自己にとって自明であるという結論に至らないしかたで「ア・プリオリ」を他人との接触の経験を含むものとして思考するという一見矛盾した企ては、いかにして可能なのか。本発表では、この問いに答えるための手がかりとして、デュフレンヌのア・プリオリ概念がレヴィナスのア・プリオリ概念といかに響きあうのかを検討する。まず、デュフレンヌが「表現(expression)」として提示する「質料的ア・プリオリ」の内実を考察する。というのも、レヴィナスはこの論点に着目することで、自他関係から成る人間的秩序においてしか思惟可能ではないア・プリオリに関する着想をデュフレンヌのうちに読み取っているからである。そのうえで、この書評以降におけるレヴィナスのア・プリオリ概念の位置付けを検討していく。

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2019-02-23

[] 第128回 哲学/倫理学セミナー  第128回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  第128回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知  第128回 哲学/倫理学セミナー - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

https://peseminar25.wixsite.com/peseminar/128

思考のラディカリテートを、単に表面的なアクチュアリテートのみを追い求めることなく、その歴史の〈深さ〉に探り当てていこう、そのような趣旨で立ち上がりました「哲学/倫理学セミナー」も、下記の通り、128回目を開催する運びとなりました。引き続き、皆様と議論を深めていきたいと思っております。ご参加をお待ちしております。

第一部
  • 橋爪大輝「アーレントの行為(活動)概念をどう解釈すべきか」

 ハンナ・アーレントの主著『人間の条件/活動的生』(英語版1958年/ドイツ語1960年)の中核をなすのは、労働・仕事・行為という三つの活動性についての分析である。このうち、労働と仕事(ドイツ語版では制作)については、アーレント自身が具体例を挙げつつ、なにかを生産する活動性であると規定しており、直観的にも比較的理解しやすい。これにたいし、行為(action, Handeln:活動と訳される場合も)の活動性は、同書のなかでいちばん紙幅を割かれており、もっとも重要な位置づけが与えられているのは明らかなのだが、にもかかわらずその内実がはっきりとしない。多くの規定が与えられているが、それらは一見すると論理的に相互に独立であり、またその活動性が通用する射程もときにきわめて広く、ときにきわめて狭い。(たとえば、行為は関係を設立するという性格づけは、日常的な行為も含めてきわめて広く妥当するのにたいし、行為は人格の唯一性を開示するといわれる場合、そうした行為は経験上きわめてまれなものに思われる。)

 こうした状況に呼応するかたちで、行為概念の解釈者たちもまた、それぞれに固有の解釈を展開することになる。いわば様ざまな意味のクラスタの集合としての行為概念は、どこを強調するか、どの側面に光を当てるかによって、様ざまに相貌を変えるからである。本報告では、アーレントの行為概念の解釈者たちが、この概念をどのように理解してきたのかという解釈史を見ることによって、解釈の傾向を分類し、行為概念の多面性を洗い出したい。そして、可能であれば、分裂する行為解釈に統合をもたらすファクターを探り出したいと思う。

第二部
  • 栁田詩織「カントにおける心術の問題」(仮)

 道徳とはなにかという問いへの答えを、カントは義務としての定言命法・道徳法則のうちにもとめたといえる。ではわれわれ人間はどのようにして道徳的になりうるのか。この問いに対してカントがどのような思考を展開したかを考察することが本発表の目的である。

 カントによればわれわれが道徳的であるか否かは、道徳法則に従っているか否かによってはかられる。ではどのようにして道徳法則に従うことで道徳的になれるのか。この問いに答えるためには「心術 Gesinnung」概念を検討しなければならない。われわれが道徳法則に従うということは、傾向性ではなく道徳法則を選択するという心構え=「心術」を有しているということだからである。

 カント倫理学の特徴として「心情倫理学」と呼ばれることも多いいっぽうで、心術の意味や立ち位置は明確ではない。本発表では心術について確認したうえで、われわれがどのようにして善い心術を獲得しうるかを「心術の革命」の議論から検討する。またそこでは叡智的でも感性的存在者でもあるわれわれの存在のあり方が、時間という観点から見直される予定である。


会場のご案内

  • 湯島地域活動センターは、東京大学本郷キャンパスの隣にある文京区の施設です。
  • 入り口には「文京総合体育館」と書いてありますが、その建物のなかに地域活動センターがあります。
  • 「文京総合体育館」の1階正面玄関から入って、そのまま真っすぐ進みます。真っすぐ進んだ突き当りが、多目的室です。
  • 本郷三丁目駅から徒歩7分ほど、湯島駅から徒歩12分ほどです。
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2019-01-14

[] Workshop「ハイデガーと有限性の問題:存在・言葉・死」  Workshop「ハイデガーと有限性の問題:存在・言葉・死」 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  Workshop「ハイデガーと有限性の問題:存在・言葉・死」 - 日曜社会学>社会学的告知  Workshop「ハイデガーと有限性の問題:存在・言葉・死」 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

 この度、明治大学文学部哲学専攻と科研「北欧現象学者との共同研究に基づく傷つきやすさと有限性の現象学」との共催により、下記のワークショップを開催することになりました。

 昨年、力作『中動態・地平・竃:ハイデガーの存在の思索をめぐる精神史的現象学』法政大学出版局)を出版された小田切建太郎さんをお招きし、御著作に関わる内容をお話しいただきます。また、現在、明治大学国際日本学部で客員講師を務めておられる松本直樹さんに、『存在と時間』の死の解釈についてお話しいただきます。

 冬休みが終わってからすぐの時期になりますが、ご関心をおもちの方にはぜひお越しいただければ幸いです。

Workshop ハイデガーと有限性の問題:存在・言葉・死

  • 13:00-14:00 小田切建太郎(日本学術振興会PD・京都大学)「ハイデガーにおける存在とフュシスの動態をめぐって」
  • 14:00-15:00 池田喬(明治大学)「哲学することの条件としての翻訳」
  • 15:15-16:15 松本直樹(明治大学)「死を語る言葉をどのように聞くか」
  • 16:15-17:00 総合討議
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2018-11-17

[][] アクターネットワーク理論と社会学研究会  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント


  • 日時:2018年11月17日(土)13:30開始~16:00ごろ
  • 会場:CIVI新大阪研修センター 803C会議室(NLC新大阪8号館 8階)
    ※JR「新大阪」駅、地下鉄御堂筋線「新大阪」駅から徒歩7分
    http://www.civi-c.co.jp/access.html#shin
    ★新大阪駅の近くの別の場所に、同じ会社の貸し会議室がもう一つありますので、間違えないようご注意ください!!
  • 協賛:科学・技術と社会の会

今回は、アクターネットワーク理論(ANT)に関する論文で国際的に著名なSTS研究者/人類学者のCasper Jensen氏にご報告いただきます。ANTの系譜にある研究の現在、ANTと「存在論的転回」との関わりなどをめぐって興味深い議論が期待されます。多くの方のご参加をお待ちしています。

タイトル:On the Consequences of Post-ANT(ポスト-ANTの帰結をめぐって)

  • 話題提供者:Casper Jensen 氏(大阪大学
    (★英語での報告になります。質問は日本語も可です)
  • 要旨:
    1980年代以降、ANTの観念は不安定であった。ANTは常に批判されると同時にもてはやされ、からかわれるとともに称賛され続けてきた。ANTは理論として考えられるべきか、あるいは方法論として考えられるべきか、あるいはまたANTはそうした近代の「ジャンル」の解体を伴うのか否かは、いまだに開かれた問いのままである。本稿では、「ANTする」ことの意味、そして(さらに悪いことに)「ANTにおいてANTすること」のあとにそうすることの意味を分析するために、ジョン・ロウとブルーノ・ラトゥールによる重要な省察に分け入ってゆく。とりわけ筆者はアネマリー・モルとマリリン・ストラザーンによるポスト-ANTの二つの事例研究を精査し、複雑性、多数性、フラクタル性の概念について概要を示す。その目的はポスト-ANTを用いて思考することの分析上の帰結を例示することである。本分析が提示するのは、ANTを完全に捨て去ることなしに「ANTを超える」ことがどのように可能かをめぐる洞察である。
  • 文献
    • Christopher Gad and Casper Bruun Jensen, 2010, "On the Consequences of Post-ANT", Science, Technology & Human Values 35:55-80.
      https://doi.org/10.1177/0162243908329567
    • Jensen, C.B., Ballestero, A., de la Cadena, M., Fisch, M., Ishii, M., 2017, "New ontologies? Reflections on some recent ‘turns’ in STS, anthropology and philosophy". Social Anthropology 25:525-545.
      https://doi.org/10.1111/1469-8676.12449
  • ※上記論文の翻訳原稿を大阪大学の森田敦郎さんにご提供いただきました。事前に回覧しますので、ご参加予定の方は、できるだけお読みの上、ご参加ください。
  • ★準備の都合上、参加予定の方はできるだけ事前にご連絡ください。また、今回は参加できない場合でも、ご連絡いただければ次回以降の開催予定等を共有させていただきます。
  • 連絡先:y_ttis[at]yahoo.co.jp (立石 裕二、関西学院大学
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2018-10-13

[] アクターネットワーク理論と社会学研究会  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知 を含むブックマーク はてなブックマーク -  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知  アクターネットワーク理論と社会学研究会 - 日曜社会学>社会学的告知 のブックマークコメント

1)13:00〜15:00ごろ「経済現象における金融理論の遂行性」
  • 話題提供者:金 信行 氏(東京大学大学院)
  • 概要

本報告の目的は、経済社会学の新たな理論的潮流である遂行性(performativity)アプローチに関して、その代表的論者の1人であるドナルド・マッケンジー(Donald MacKenzie)の議論に注目してその内容を明確化することにある。アクターネットワーク理論の影響を受けて経済現象の成立において学知や計算装置といったモノ(thing)が果たす役割に着目する遂行性アプローチは、経済現象における社会関係の役割の重要性を説いた「新しい経済社会学」以降の重要な分析視角であるにもかかわらず、十分に検討がなされてきたとはいえない。本報告では、

  1. まず遂行性アプローチに関わる研究動向を概観し、
  2. マッケンジーによる金融理論の遂行性の事例分析を題材として遂行性アプローチの説明様式を明確化した上で、
  3. 類似の説明様式との比較によって遂行性アプローチの独自性を検討する

(本報告は今年度に予定されている第91回日本社会学会大会での報告内容をベースに加筆修正を加えたものとなる予定である)。

  • コメンテータ:岡本 紀明 氏(立教大学)

マッケンジー『金融市場の社会学』の訳者であり、会計学がご専門の岡本紀明氏よりコメントをいただきます。エジンバラ大学での在外研究中にマッケンジーと実際に話して感じた点や、マッケンジー自身や金融社会論の最近の研究動向などを含めてお話しいただく予定です。

  • 文献
    • MacKenzie, D.A., 2009. Material markets : how economic agents are constructed. Oxford University Press.(邦訳:岡本紀明訳, 2013. 『金融市場の社会学』. 流通経済大学出版会.)
    • MacKenzie, D.A., 2008. An engine, not a camera : how financial models shape markets. The MIT Press.

※ご参加予定の方は、できるだけ事前に上掲書をお読みの上、ご参加ください。

2)15:00〜17:00ごろ「ラトゥールの”宗教の発話行為の適切性条件”は何を問題にしているのか」
  • 話題提供者:小川 湧司 氏(一橋大学大学院)
  • 概要:

本発表では、ラトゥールの2002年の著作Jubiler ou les difficultés de l’énonciation religieuse (英訳:Rejoicing, or the Torments of Religious Speech (2013) )、および2005年のエッセイ” 'Thou Shall Not Freeze-Frame’ or How Not to Misunderstand the Science and Religion Debate”などに見受けられるラトゥールの宗教理解の方法を検討する。これらの文献にてラトゥールが問題にしたのは、宗教の発話レジームと科学の発話レジームは全く異なっており、それらを取り違えることによって「宗教と科学」という論争軸が生まれるという点であり(この点については The Making of the Law (2010) 第5章にて、法と科学の取り違えについて議論されているのと同様の展開)、これらの複数の発話レジームにおける発話行為の適切性(felicity)の条件をそれぞれ比較することが彼の現在の研究課題となっている。本報告では、

  1. ラトゥールの宗教理解を複数の文献から概観し、
  2. An Inquiry into the Modes of Existence (2013) において打ち出されるラトゥールの比較研究と多元主義(Pluralism)の前提を検討する。
  3. その上でラトゥールの理解するところの"宗教の発話行為の適切性条件”は人類学の儀礼論における発話行為論とどのように異なっているのか提示し、

彼はなぜ従来の発話行為論と異なる立場を取らなければならないのかという点をその多元主義から検討し、それによって我々はどのような利益を得ることができるか、逆にどのようなことが説明できなくなるのかを議論する。

ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について : ならびに「聖像衝突」』の訳者であり、現代フランス思想がご専門の荒金直人氏よりコメントをいただきます。

  • 文献
    • Latour, Bruno. 2010. “ 'Thou Shall Not Freeze-Frame’ or How Not to Misunderstand the Science and Religion Debate.” In On the Modern Cult of Factish Gods. Duke UP: Durham. Chapter 3.
    • Latour, Bruno. 2013 [2002]. Rejoicing, or the Torments of Religious Speech. Julie Rose (Trans.), Polity: Cambridge.
    • Latour, Bruno. 2013 [2012]. An Inquiry into Modes of Existence: An Anthropology of the Moderns. Harvard UP: Cambridge; Mass.
    • Latour, Bruno(荒金直人訳), 2017. 『近代の〈物神事実〉崇拝について : ならびに「聖像衝突」』以文社.(→Latour, B., 2009. Sur le culte moderne des dieux faitiches : suivi de Iconoclash. La Découverte.の邦訳)

★準備の都合上、参加予定の方はできるだけ事前にご連絡ください。また、今回は参加できない場合でも、ご連絡いただければ次回以降の開催予定等を共有させていただきます。

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