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2016-02-20 [ 日曜社会学>社会学的告知のカレンダー ]

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2016-02-20

[] 第110回 哲学/倫理学セミナー

http://peseminar.web.fc2.com/110.html

 思考のラディカリテートを、単に表面的なアクチュアリテートのみを追い求めることなく、その歴史の〈深さ〉に探り当てていこう、そのような趣旨で立ち上がりました「哲学/倫理学セミナー」も、下記の通り、110回目を開催する運びとなりました。今回は、佐々木雄大さんと横地徳広さんによる二つの研究発表が予定されております。今回も引きつづき、多くの皆様と議論を深めていきたいと思っております。ふるってのご参加をお待ちしております。

第一部 構想発表「モラル・エコノミーとは何か」(佐々木 雄大)

 「モラル・エコノミー」は一般的に、歴史家・新左翼活動家であるE. P. トムスンが「18世紀イングランド群衆のモラル・エコノミー」において提唱した概念として知られている。トムスンによれば、18世紀イギリスで起こった民衆行動である食糧暴動は、公共の福祉を優先するための正当で道徳的な行為であり、そうした伝統主義的な経済観念に根差した「モラル・エコノミー」は、近代的な自由主義経済を推進する「ポリティカル・エコノミー」の言説と衝突するものであった。この概念はやがて、ジェームズ・スコットらによって、市場経済に対する伝統的な「農村経済」を意味する概念として使用され、現在でも広く用いられている。

 他方で、この概念の起源は定かではない。当のトムスンも「18世紀後半に由来すると思うが、参考文献を見つけることができない」として、1837年のただ一例(チャーティストのオブライエン)を引いているのみである。では、この「モラル・エコノミー」という概念の起源はどこにあるのだろうか。また、その本来の意味とは一体何だったのか。本発表では、この概念の意味と歴史について整理してみたい。

  • 【参考文献】
    • E. P. Thompson, Customs in Common, The New Press, 1993.

第二部 発表「アレントの政治原論――ハイデガープラトンソピステス』講義との批判的対話?」(横地徳広)

 アレントは、未刊におわる『政治学入門』で「政治の意味への問い」を掲げていた。これを見ると、やはり、ハイデガーの「存在の意味への問い」との関わりが気になる。

 「存在は多様に語られる」(アリストテレス)さい、多様な存在概念をつらぬく一性が「時間」であることを表現してハイデガーは、「存在は時間から了解される」と述べていた。「一と多」にまつわる、この洞察の正しさを「存在史」の諸事象に確かめるため、彼は「存在の意味への問い」を提示し、それは、「存在と時間」の「と」を問うことであった。

 とすると、アレントの場合、「政治の意味への問い」にあって「一と多」は何を指していたのか。つまり、政治のいかなる歴史のなかで「政治と何」の「と」を問おうとしていたのか。あるいは、アレントの意図をこうして探るアプローチは正しいのだろうか。

 手がかりは、若きアレントが参加したハイデガーの講義『プラトンソピステス』にある。のちに彼女が「哲人王」思想を徹底的に批判するプラトンの対話篇にあって『テアイテトス』、『ソピステス』、『ポリティコス』は連続して行なわれ、このなかで、「哲学者、ソフィスト、政治家とは何か」が問われていた。これは同時に、「存在と現象」にまつわる「一と多」を問うことでもあった。ハイデガーによる『ソピステス』篇の解釈と、アレントのその批判的検討を確かめながら、『政治学入門』のうちに彼女の政治原論を見出したい。


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