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2019-03-30 [ 日曜社会学>社会学的告知のカレンダー ]

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2019-03-30

[]第129回 哲学/倫理学セミナー

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第一部 発表

  • レヴィナスにおける倫理の時間性について」石井雅巳

 レヴィナスの第一の主著と言われる『全体性と無限』(1961)には、一見矛盾しているかのような主張が共存している。すなわち、彼は一方で「他性はあらゆるイニシアティブ、〈同〉の帝国主義の全てに先立つ」と他者の自我に対する先行性を述べるにもかかわらず、他方で「他性は自我を起点にしてしか可能ではない」と逆の事態を語るからである。こうした自我と他者の順序や両者の前提関係にかんする記述をわれわれはいかに解釈すべきなのだろうか。また、この奇妙な自他の関係は『全体性と無限』にのみ認められるものなのだろうか。

 本発表では、第一に、レヴィナスも言及しているデカルト省察』におけるいわゆるア・ポステリオリな神の存在証明、および連続創造説の論証構造を補助線としながら懸案の箇所を整合的に読解することで、倫理的関係に潜む時間の構造を析出することを狙う。そして第二に、上の読解で取り出される時間論的構造は、決して『全体性と無限』でのみ展開されているものではなく、1940年代の主体性や救済をめぐる文脈で既に現れており、さらには第二の主著『存在の彼方ヘ』(1974)における「隔時性」や「痕跡」概念にその徹底を見て取れることを示したい。以上によって、レヴィナスの主要著作における倫理的関係に通底する時間論を抉出することを目指す。

第二部 発表

 レヴィナスが『全体性と無限』以降に着目した哲学者のひとりに、ミケル・デュフレンヌがいる。レヴィナスはデュフレンヌ『ア・プリオリと主観性』(1959)への書評を1962年に発表し、『実存の発見』の増補版で、1960年代の重要論文「他者の痕跡」「謎と現象」「言語と近さ」と同じセクションにこの書評を置いた。『他者のユマニスム』に収録されている「意義と意味」(1964)においては、レヴィナスがデュフレンヌの困難を指摘していることもあって、この書評が注目されることは稀である。しかし、本発表では、デュフレンヌのア・プリオリ概念への着目が、その後のレヴィナスにとって重要な契機となっていることを示したい。

 レヴィナスは、ア・プリオリ性を、多様なものの同一化を宣告する作用として提示する(Cf.「言語と近さ」(1967))。同時にレヴィナスは、ア・プリオリ性には他人との接触的関係が含まれていると考える(同)。自己の同一化作用が既にして他人との関係であるというこの考え方、そして「経験」と「ア・プリオリ」を基礎付けの関係として考えることの拒否は、『存在するとは別の仕方で』におけるレヴィナスの思考の主軸を形成することになる。では、他人との関係は自己にとって自明であるという結論に至らないしかたで「ア・プリオリ」を他人との接触の経験を含むものとして思考するという一見矛盾した企ては、いかにして可能なのか。本発表では、この問いに答えるための手がかりとして、デュフレンヌのア・プリオリ概念がレヴィナスア・プリオリ概念といかに響きあうのかを検討する。まず、デュフレンヌが「表現(expression)」として提示する「質料的ア・プリオリ」の内実を考察する。というのも、レヴィナスはこの論点に着目することで、自他関係から成る人間的秩序においてしか思惟可能ではないア・プリオリに関する着想をデュフレンヌのうちに読み取っているからである。そのうえで、この書評以降におけるレヴィナスア・プリオリ概念の位置付けを検討していく。


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